日本ディスプレイ業団体連合会 西日本地区委員会

先週金曜日は、島根県の玉造温泉で日本ディスプレイ業団体連合会(日デ連)の西日本地区委員会が開催された。
http://www.display.or.jp/
この団体は、ディスプレイ業に携わる会社が集まる全国組織で、島根は3社が所属している。2年前、親しくさせていただいている同業者2社に声を掛け、立ち上げた。
ちなみに私が島根の理事長(汗)
島根で今回の会合をするのは初めてで、3ヶ月前から準備をしていた。
しかし、当日は松江市内のホテルが全く空いておらず、会場が確保できない。
(後で知ったが、小田和正のコンサートがあったらしい)
それであちこち問い合わせたあげく、最終的に玉造温泉の宿になったのだ。
今回は、業界トップクラスの企業の代表者を含む17名にお集まりいただいた。
東証一部上場の企業の会長が2名、JASDAC上場の社長など、そうそうたるメンバーだ。
懇親会では、日デ連会長(株式会社 乃村工藝社 代表取締役会長)の正面に座らせていただき、色々なお話を聞かせていただいた。ものすごい役得!
(話のスケールがデカすぎて、ついていけませんでしたが。。。)
当日はとても暑かったが、なんとか3次会まで無事のりきることができた。
皆さんには多くのご尽力をいただき、心より感謝です!

看板屋の息子

西森家の四人兄弟の長男として生まれた私は、物心ついた時から「お前は西森看板の跡継ぎだ」と言われて育てられた。
それで幼い頃から、私は家業を継ぐことが当たり前なのだと思っており、小学校の卒業文集にも「将来は看板屋の社長になる」と書いていた。
当時、1階に事務所兼生活スペースと、その隣に工場があった。
工場は今のように装置化されておらず、職人さんが筆とペンキで看板を書いており、いつもシンナーの匂いが漂っていた。
小さい頃は生き物が大好きで、弟や近所の子分を引き連れては、虫を採ったり、魚を捕まえたり、カエルやザリガニを捕まえてばかりしていた。
産卵まぎわのお腹の大きいカマキリを捕まえてきて自宅の部屋で産卵させ、春に何百匹の子カマキリが生まれてくるのを観察したり、川で大きなコイを捕まえてきて、風呂場に水を貼って飼ってたけど1日で死んでしまったこともあった。
今思えば、うちの母親はよくそんなことを許したもんだ。
そんな感じで、私は自由に好きなように育てられた。
その後、中学、高校と進み、大学に進学。
大学時代、父に借りた新車のインテグラで友達と一緒にドライブに行き、無茶な運転をして事故を起こしてしまい、車を廃車にしてしまった。
父にはこっぴどく怒られ、本当に悪いことをしたと反省した。
いつかお金がたまったら、父に車を買ってあげようとずっと思ってたが、結局実現することはなかった。
大学卒業後、東京に1年間の研修に出る。
本当はイギリスに留学したかったのだが、お金も無いしあてもなかったので、「1年くらい東京の空気を吸うのも悪く無いのでは」との父の言葉で行くことを決心する。
研修は、当時出雲商工会議所が行なっていた「後継者育成事業」。
後継者が東京銀座で働き、銀座のエッセンスを身につけるというものだ。
仕事場は、銀座8丁目にある「資生堂パーラー」の1階売店。
そこでケーキやお菓子を売っていた。
住居は、川崎にある東横線沿線の「元住吉」駅から歩いて15分の所。
親会社である資生堂本社の社宅でもあり、2、3階は女性ばかり、1階が防犯のために男性が入居しており、その一番奥の部屋に住んでた。残念なことに、他の階の人たちとの交流は全くなかった。
そして3月末で研修を終えるのだが、東京が楽しくて仕方なかった私は、4月末まで勝手に社宅に住み着いていた。そうしたら新しい人が入居して来られ、管理人さんに「あなたまだいたの!?」と言われ、追い出された。
その後も帰りたくなかったので、友達の家を転々としていたが、残りのお金が8000円になり、そのお金で出雲に帰るバスに乗って帰った。その時はすでに5月になっていた。
そしてお金もないので、もう一度お金を貯めてイギリスに行こうと、父親の経営する会社に入社する。営業担当となり、お客さんとの打ち合わせなどを行なってきた。
しかしお金は貯まらず、仕事もやめられない雰囲気となってきて、その時初めて父に騙されたと感じた。そしてズルズル仕事をやることになる。
その頃の私は、とにかく勤務態度が悪かった。
営業に出かけてくると会社を出ては、パチンコ、本屋で暇つぶしをしていた。
そして当時から探検することが好きだったので、脇道があったらそこに車で入っていき、2回も溝に落ちて車が動かなくなり、友達に助けてもらった。
こんなやる気のない人間をよくも我慢して使っていたものだと、我が父ながら器の大きい人だったんだと今更ながら思う。私が父なら、すぐクビにしてるだろう。
そんな調子でしばらく働いていたが、少しずつ仕事が楽しくなり、もっと売上を上げたいと思うようになってきた。そんなある日、私の価値観を変えるできごとが起きる。
(続く)

シンガポール

シンガポールに行って来ました。
サインに関連する展示会に参加するためです。

実は私は海外に行くことが好きで、6年前に独立してから、のべ19の世界中の都市を周っています。(全て仕事として)
会社名の「グローバーク」も、看板やなんだけど、海外を飛び回る仕事がしたい!との思いでつけました。
ちなみに20番目として、今年の10月にはロサンゼルス経由のラスベガスに行く予定です。

シンガポールへは、広島空港から直行便が出ています。
航空会社はシルクエアー。シンガポール航空の子会社だっけ?
チケットは毎回安く手に入れてます。(今回は往復で約25,000円ほど)
ちなみに、毎回ここから買ってます。
スカイスキャナー

空港に着いたらクレジットカードでキャッシング。
空港内の両替所より全然レートがいい(ほぼ手数料なし)

移動はチャリ。MOBIKEという会社のサービスです。(チャリは赤色)

ちなみにここは地下鉄の駅前。

どこにチャリが置いてあるか、地図で分かるようになってる。
そこに行って、チャリについてるQRコードをスマホで写すと、ロックが解除される仕組み。料金は30分で40円くらいだったかな?終わったらチャリの鍵をかけるだけで、勝手に清算が行われる。

チャリで動くのは好きだが、何しろ暑くて大変だった。。。
遠い距離は地下鉄で動きました。

これは地下鉄の切符

2泊4日の旅だったが、シンガポールの感想はというと「お金持ちが多い」
富裕層が集まっている国だけあって、特にこのマリーナ地区の施設はとても豪華だった。マリーナベイサンズの敷地内にショッピング施設があるのだが、内部のディスプレイも金かかってるな〜って感じ。ちなみにこの施設内にはカジノもあります。

マーライオンとマリーナベイサンズ
マリーナ地区のビル群

そのカジノも少しのぞいてみたが、隣のおばさんはスロットで1ゲーム100ドルずつ(8000円くらい)かけてた。1ゲーム2〜3秒で終わるのに!
(ちなみに私は2セント(16円くらい)ずつでやってた笑)

ただし、マリーナ地区以外はあまり物価が高いというイメージはなかった。ホテルは中心部から地下鉄で15分のところ(その代わり治安が悪い場所だったが)1泊6000円くらいだったし、食事は「ホーカー」という食堂が集まった施設があちこちにあって、1色500円もしない。シンガポールは女性の社会進出が進んでいるため、外食文化らしい。これは香港も同じだね。

地下鉄も30分くらい乗って200円くらいだったような。
タクシーもGRABというアプリを使ったせいもあるけど、17kmの距離で2000円もしなかった。スーパーに売ってるものの金額も、日本とそんなに大差ない。
それほど日本の物価が高いということか。。。

とりあえずこれで世界6大都市(ロンドン、ニューヨーク・東京・パリ・香港・シンガポール)は制覇した。
シンガポールは赤道直下なのでとても蒸し暑かった。しかし、広島空港に着いた時は、日本はもっと暑いなと思った。
次回の旅はもっと過ごしやすい所にしよう。

沖縄上空

全身全霊を注ぐ経営 ー機関紙145号ー

最初に「人生の結果=考え方×熱意×能力」であるとの記載があった。
これは今まで何度も聞いているが、周りの人を見ていると、本当にその通りだと感じる(特に息子)。能力は多少あるのに、努力を怠って成功できない者、または能力が高くても、考え方がよくないために周りの協力や信用を得られないもの。。。
自分だけのことを考えるのではなく、もう少し相手のことを思いやるとか、まわりの役に立とうという気持ちを持ってくれるといいのだが。
そしてもう一つ聞かせたい言葉が。

『おまえは、「すれば」できると思っている。ところが、その「すれば」が、おまえにはできていない。だから、お前の成績は真ん中なんだ。自分では「すれば」一番を抜けるだろうと思っているが、それだけの集中が全くできていないのだ。普段サボっていても本気で取り組めば、一番になれるだろうと思っているかもしれないが、それは錯覚である。』

「やればできる子なんです!」とかよく言われるが、誰だってやればできる。
実際にやること(行動)が難しい。やらないから、できないのだ。
今回の塾長講和での気づきは大きく3つ。

1、苦境の時にどうするか

まず、今すぐやるべきこととして「あらゆるムダを省くこと」。つまり「経費を最小に」ということである。苦しい時に行うことで、最も効果が上がる。不況の時こそ、体質を強化する最も良い機会である。
今は自社も売上が思うように伸びず、大変苦労をしている。
おそらく、将来振り返った時に「あの頃はどうなるかと思った」と思うほどである。早速、あらゆるムダをチェックして合理化を図り、筋肉質の会社にしていかなければならない。

2、値決めは経営

商品の価格について、次のように書かれていた。
「買った人が喜び、売った人が喜び、それをまた買った人が喜び、みんなが喜ぶことが条件。」
誰かだけが儲かったり、誰かが損をして悲しむのであればそれは商売にならない。

京セラは、創業当初は松下電器の下請けをしていた。毎回値切られ、しまいには決算書までチェックされて、値引きに応えてきた。他に取引先がなかったからだ。それでもその度に合理化をすすめ、利益のでる体質をつくってこられた。

うちの会社も、時々大幅な値引きを要請されることがある。
そのお客さんは上場会社である場合が多い。
しかし言われる通りにしていては、そのお客さんは喜ぶかもしれないが、会社も、協力会社も泣かなければならない。そう考えて受け入れることはあまりないのだが、もしかしたら企業努力が足りないのかも知れないと感じた。

3、公私混同をしない

「公私の区別は峻烈に、厳しすぎるくらいに切り分けをしていかなければならない。」

「公私をはっきり分け、全身全霊で打ち込んで、たいへんな犠牲を払ってでも会社に貢献しているその姿は、従業員から見ても非常に美しいものである。彼らも、そういう経営者なら付いていく。また、従業員以上に経営者ががんばっているからこそ、従業員にも厳しいことが言え、それを分かってくれる。」

これは今期の私のテーマである。
今までは、あまり税金を払いたくなかったので、経費にできそうなものは全て経費として処理して来た。
しかし、今期はそういった税金対策はせず、どこまで利益率を上げられるか?を意識して経営を行なっている。ちなみに盛和塾では、「経常利益率が10%以上ないと経営してるとはいえない」と言われている。
しっかりと利益を計上し、内部留保を高めて、強い会社にしていきたい。
最後に、運命というものは存在する。しかし変えられるとあった。
心からそう思い続けていると、そのようになるものである。もちろん今すぐにはできないが、まずはそのように「善きことを思う」ことから始める。強烈な思いは成就する。「自分には素晴らしい人生が広がっているのだ」と信じること。
だめだろうなぁと思ってたら、本当にその通りになってしまうから。
きっとうまくいく!と信じ、これからも一生懸命頑張っていきます。

経営者の判断基準 ー機関紙144号ー

今回の内容は、1994年(28年前)の塾長講話。
そのせいか、荒々しく厳しさを感じさせられる内容であり、基本的な内容は経営の12か条の一部であるのだが、今までとは違った語り口であるために、新たな発見を多く得ることができた。

「トップの「器を大きくする」ためには、心に立派な、判断基準をつくること。そして、その判断基準を「人間として何が正しいのか」と定めれば、過ちを犯すことはなくなっていく。」

そして、「経営理念を「全従業員の物心両面の幸福を追及する」と定めたことで、厳しく指導することに躊躇することがなくなった。「みんなの会社だから、いい加減に働くな!お前も頑張れ!。」「文句を言うやつはもういらん。なんでそんな奴の一生の面倒を俺がみなければならんのだ。」「一生懸命働きたいという人が集まり、そのみんなを幸せにするための会社だから、辞めたい人は必要ない。」」

経営理念の「従業員の物心両面の幸福を追求する」とは、ただ受け身で待っていれば、社長が運んできてくれるというのではない。全員が幸せになるために、みんなで頑張るのだ。それは無理ですというのなら、違う会社に行った方がいい。
次に、「全員がベクトルを合わせ、力を合わせて仕事をしていく」ために、「社長が従業員を惚れさせなければならない」とあった。
私は特にそうなのだが、「この人についていきたい」と思う人の言うことなら認めてもらおうと頑張ろうとするが、そうでなければ「仕事だから」と消極的な考え方で、使命感もなく、やらされ仕事になってしまう。
現在、PTAの役員(広報部長)を長年やっているが、PTA会長によって私のモチベーションは大きく変わっている。前にも書いたかもしれないが、この会長のためなら!と思うとすごい力がでて、周りも巻き込み、閉鎖的な学校の体質と戦いながらもPTA広報紙の改革を行って、結果コンクールで県で1位、全国審査にも入賞することができた。その時のメンバーとは、今でも信頼関係で繋がっている。
それが、今の会長はいい人なんだけど頑張ろうという気力が起きず、とりあえず仕事だからやらなきゃという感じでやってる。周りも仕方なしにやってるような感じ。結果も大したことないし、仲間同士の結束感も薄い。
同じ人間でも、トップでこんなに変わるのだ。
従業員が悪いんじゃない、全てはトップの責任なのだ。
では、従業員が惚れ込んでくれ、尊敬してくれる経営者になるにはどうすればよいか?
自分のため(利己)に経営するのではなく、従業員の幸福のため(利他)という純粋な気持ちをもち、常に奢らず自分の教養を磨き、知性を磨き、人格を磨いていくこと。
それらを教えてくれているのが盛和塾なのである。
そしてベクトルを揃える理由については以下のように記されていた。
「中小企業が力を出そうとするならば、なんとしてもみんなの考え方を、一緒の方向へ揃える、つまりみんなが一緒になって同じ方向を向いてくれれば、少しでも仕事ができるわけだから、ベクトルを揃えなければならない。」
「みんなについてきてもらって、みんなの力を集めなければならない。そのために朝礼で「実は昨日、こういうことがあったけど、これじゃ困るのです。こうしてもらわないといけません」と父親ほど年の違う専務をみんなの前で立たせて説教をした。」
当時の塾長の厳しさを感じた。そして、

「ベクトルを揃えるには、説得をしなければならない。説得とは、相手に「なるほどな」と思わせること。」

そのために「自らを磨いていかなければならない」のだ。
私はこれまで従業員を説得することはほとんどしてこなかった。
しかし、このフィロソフィを学び出してからは、少しずつ「会社をこうしたいんだ。だからこうして欲しい」ということを正直に伝えられるようになってきた。
まだまだ全員のベクトルは揃っておらず、ようやくスタート地点に立てたかなという程度だが、これからもっとみんなの力を合わせ、更に大きな力が発揮できるよう努めていく。
そして「誰にも負けない努力をする」ことが「盛和塾での第一歩」であり、一番大事なこと。朝7時から夜10時まで働いていても、それより働いている人がいれば、誰にも負けない努力とは言えない。まだまだ私は第一歩も踏み出していなかった…(~_~;)
そして最後に「儲け」に対して記されていた。
どうも日本人は儲けることに対して罪悪感があり、私も少なからずそういうあったのだが、この文章を読んでなるほどと思った。

「きれいな心というのは、自分が儲からなくてもよいというものではない。五人でも十人でも二十人でも、その従業員を幸せにしていくための心である。そのためには儲からなくてはいけない。そして会社が立派にならなければいけない。」

「中小企業の経営者が立派になれば、経済も豊かになっていくし、同時に社会そのものが立派になっていく。経済活動があってはじめて潤いのある豊かな社会ができる。」

「県庁や市役所や学校など、それらは全部、われわれの税金で賄われたもの。では、誰がもとのお金を作ったかというと、われわれの経済活動でしかない。それが回り回って税金となり、国の予算として流れていく。事業をしている人達がいるからこそ、国がある。そして従業員にも給料を払っている。」

我々が頑張って稼ぐことで、社会が豊かになっていくのだ!
だからもっと胸を張って堂々と稼いでいこう。

社員面談

本日は社員2名と面談。
7月は年に一度の昇給月であり、賞与の支給日でもあるので、会社の現状を共有し、お互い話し合って納得した上で内容を決めていくのだ。
今回は双方にとってかなり厳しい内容となってしまった。。。
そして簡単な評価を従業員に伝え、逆に従業員から会社への要望を聞く。その後はフリートーク。私の経営の考えを語り、従業員からの意見を聞く。
周りからは面談をやってるだけでも立派だと言われるが、私はまだまだ全然ダメだと思ってる。
今回の面談はお互いを知り、理解し合って信頼関係を築いていくのが目的だったのだが、まだお互いに半分も理解できてないように思う。
そして、稲盛さんは従業員にエネルギーを注入すると言われるが、私がやると、逆に相手のエネルギーを奪っているように思う。
相手のモチベーションを上げるどころか、逆に下げてんじゃないかと思う。相手がだんだん元気が無くなっているように思える。これじゃいけない。
もしかしたら、私は一生懸命相手の話を聞いておらず、自分の意見を押し付けているだけなのかも知れない。
次回の面談は、何も言わずに我慢して聞き役に徹してみようかな。

企業における自己革新 ー京セラの新製品開発を通じてー 機関紙143号

今回は「企業が成長発展をしていくためには、自己革新をはかる、つまり自ら変革をし続けるしかない」という内容であり、京セラがこれまで行ってきた新製品開発を事例に解説されていた。
もともと京セラの創業時は1種類の製品しか取り扱っておらず、しかもそれが新しい製品に切り替わることになっており、「現在の製品・サービスだけでは、時代の返還とともにやがて会社は立ち行かなくなる」という強烈な危機感から、新製品の開発に取り組む。
知識も経験も時間も何もないところから開発を進め、何度も失敗を重ね、ようやく製品が完成することで進化を続けてきた。
その時に大切なのは、「不可能だと思わず、成功を信じること」
成功を信じる「純粋な心」を持つことができるかどうかが、事業の成否を決める。純粋な心とは、「仲間のため、従業員の幸福のため、会社の将来のため」という利他の心から生まれるものである。
リーダーが不可能かも知れないと思いながら仕事をしていたら、成功しない。
私も常に「このままでいいのか」という危機感を持っている。
看板業は衰退期に入っており、このまま同じことをやり続けていても、大幅な需要の増加は望めないのではないか?
その穴を埋めようと様々なことに取り組んできたが、大きな成果を得られることなく道半ばで断念してきた。
今思えば、その理由は「純粋な心」がなかったからであり、補助金目当てだったり、利己的な思いが強かったのではないか。そうではなく、「世のため人のため」と利他の気持ちで取り組まなくてはならないと感じた。
今、弊社ではある事業を開始しようと構想を練っている。
この事業の意義、目的を見つめ直し、「動機善なりか、私心なかりしか」の精神で進めていこうと思う。そして、自らが先頭に立って前へ突き進んでいく。
なお、日本人はイノベーションが苦手な人種のようだ。
それは、「積み上げ式」といって、過去の事例や資料から、新たな商品やサービスを作り出す傾向にあるからだそうだ。
それと比較し、欧米では「トップダウン方式」といって、「こういう思想のものをつくってみようではないか」と、まずコンセプトワークを先に行う。そしてそれを実現させるにはどうすればいいか?を考えていくそうである。
この一人機関紙マラソンを初めて、次で2ヶ月になる。
たったの2ヶ月で、読んだ機関紙も9冊だけなのだが、自分も従業員も変わってきているように感じている。
まず、自分自身が先頭に立って、一番働かなきゃと思うようになった。
そのために、先週から朝は7時に出社するようにした。出雲から出勤してるので、朝は6時くらいに家を出る。そして、社員に任せっぱなしだった仕事を、自らもやるようにした。仕事が終わるのは夜9時頃。久々だったので、週末はヘトヘトになった。「誰にも負けない努力」にはまだほど遠いので、もっともっと頑張らなければ!
そして、朝礼で「京セラフィロソフィ」の輪読を行い、その後各自が感想を発表して、フィロソフィをみんなで学んでいる。朝礼に参加していない従業員にも内容を共有し、感想の提出を義務付けている。
正直、小難しい道徳のようなスピリチュアルな内容もあり、従業員から反発がくるんじゃないかと予想していたが、以外にもみんな受け入れてくれた。それどころか、従業員みんながスレていないというか、とても素直な心を持っている人たちと分かり、この人たちとだったら頑張っていける!と自分自身勇気付けられた。
そして、私の考えていることを更に従業員が理解してくれ、協力してくれるようになった。今まで理解してもらう方法が分からなくて、従業員には不安な思いをさせていた。
「男は黙って背中を見せる」という価値観で40年近くやってきたので、自分の夢とか思いを人前で語るのは苦手なのだ。
継続は力なり。今後も更に学び、実行していきます。

英語教室

私は数年前から独学で英語を勉強してる。未だにさっぱり話せないのだが、聞くことは半分くらいは理解できるようになってきた。
先月からは英語教室にも通ってる。通ったら英語が話せるようになるかと思ってたが、実際は全然違ってた。そうだよな、英語教室はたった週1時間のみ。この場で話せるように、各自がそれぞれ努力をしてくるという仕組みなのだ。
受け身じゃ何も得られない、だから自主的に頑張るしかない。このバランスに気付いた時は一本取られたと思った。自社もこんな仕組みを作りたいものだ。