転職

知人が経営する会社で働いていた社員が、よく知っているライバル会社に転職すると聞いた。

知人はその社員を新卒から育て上げてきたが、ようやく仕事が一通りできるようになった時に突然やめることになったと言っていた。それを聞いた時、私は心が痛んだ。

私も今まで経営を行ってきた中で何度も経験がある。
作っては崩れ、作っては崩され。
それでも一歩一歩前に進んでいかなければならない。

そういえば亡くなった父の会社も、職人さんがごっそりやめて新しい会社を作ったことがあったと聞いた。本当に辛かったことだろう。しかしそれをきっかけに、父の会社は職人の世界から装置化へと変革していった。

知人の周りの人間は、その辞めた社員のことをあまりよく言ってなかった。
私もその辞めた社員から何も聞いていないので、社員が悪いのか、会社(経営者)が悪かったのかよく分からない。
それでも私は知人の会社を応援してたので、今日その転職を話を聞いた時はその社員のことを何て恩知らずなやつだと気分が悪くなった。

しかしこれを書きながらよくよく考えてみたら、もっとひどい奴がいた。
それは10年前の自分。
両親の期待を一身に背負って育ててもらったのに、私は父の会社を飛び出した。
家業を存続させるためには自分が引くしかないとの覚悟から。
人には様々な事情がある。

そんなことがあったからこそ、もっと従業員を大切にしなきゃと思う。

ビジョン経営

経営者の勉強会で何度も問われる「ビジョンを持ちなさい。」

そうなのかとこれまで何度も将来のビジョンを思い浮かべたり考えたりしたけれども、すぐにどこか記憶の彼方に飛んで行ってしまった。

そして前回弊社で社員に向けて開催されたストレスに関する勉強会で、社内の会社のビジョンが浸透していないことが、社内に不安がある原因だみたいなことを先生に言われた(らしい)。

それを聞いた時は、自分がビジョンを描いていない姿勢を恥ずかしく思った。

そしてそれからビジョンについてよく考えてみた。
自分のビジョンとは一体何なのか? なぜ明確なビジョンがないのか?
ビジョンがない経営者はダメなのか?

それに対する今の考えがこうだ。

自分には5年、10年先のビジョンはない。
でも今確かに言えることは、我が社はこれからも毎年従業員の給与を増やしていく。それはなぜか。従業員の物心両面の幸福のため。

そのために会社を成長させる。
だから人も採用するだろうし、売上目標をしっかり管理しなければならないし、全員が頑張ろうと思える職場環境づくりをしていく。

人が頑張るために明確なビジョンが必要。
そんな感じで考えてた。順番が逆だな。

それは経営者としてダメなのか?
ある経営者へのアンケートでも、自らの課題に「ビジョンがないこと」と書いた。
それで色々とネットでも調べてみたが、今の段階ではビジョンが描けないなら仕方ないって思ってる。

私は経営者向けのいくつかの組織に入ってくれとこれまで何度か頼まれてきたが、その組織のビジョンに共感して入会したことは一度もない。
自分にとってその組織がいいか悪いか、ただそれだけだ。
組織にビジョンがなければ、良くなるためのビジョンを自らが描けばいい。
それが描けないなら組織に入会することはない。

入会するだけで良くなりますよとかこんなリターンが得られますよと、それこそビジョンを掲げて安心させて勧誘する人がいるが、詐欺がよく使う手段でもある。

ビジョンとか小難しいことを考えるのではなく、今の自分の中にあるイメージや考えを伝えることは大事だと思う。こちらは社内で理解し共感してもらえるようにしていこうと思う。

1.幼少時代

自分の生い立ちを書こうと思い立ってから早一ヶ月、久々に書きます。
最近色々と思い悩むことが多いので、こんな時こそ原点回帰、初心に帰るべし。

1971年12月、島根県出雲市で西森家の長男として生まれる。
普段はむちゃくちゃ怖い父が、私の誕生を涙を流して喜んだ。
分かるなぁ、私も自分の長男が生まれた時は嬉しかった。
医大で生まれたけど、毎日ガラスを覗き込みに行って何十分も眺めていたもんだ。

赤ん坊の頃は、それはそれは大きな声で泣いていたらしい。
その頃、両親は雇用促進住宅に住んでいたらしいが、あまりの騒音(私の)で山奥に引っ越した。深夜、山にこだまするくらいの大声で泣いていたとか。
あまりのうるささに、父がパコッと私の頭を叩いたそうだ。(父はものすごい短気だった。)すると、更にボリュームを上げて泣き出して手がつけられなくなったとか。

やがて父の仕事の関係で、米子に引っ越す。
そこで弟(次男)が生まれる。
当時の私(3〜4歳)は歯が丈夫で、喧嘩になるといつも噛みついていたそうだ。
とてもかわいかったらしく、よく知らんおばさんに可愛がられており、何度か勝手に連れ去られた思い出がある。

幼少期は生き物が大好きで、虫とか魚とかたくさん捕まえていた。
産卵間際のカマキリを何匹も捕まえてきて部屋で産卵させ、春に何百匹もの小さなカマキリが産まれてくるのを見るのが楽しかった。
ヤゴもよく捕まえてた。壁に捕まらせて、脱皮するのをずっと見てた。
川で大きなコイを捕まえて、風呂場に水を溜めて飼っていたら、翌日死んでいたこともあった。

その後出雲に戻り、三番目の弟が生まれる。
この頃の記憶は不明瞭だが、今市のボロな一軒家(連紹寺の近く)に暮らしていた。
唯一覚えているのは、夜中にネズミが次男の耳をかじり、父がネズミを退治して高瀬川に捨てに行ったなあ。

そういえば今市幼稚園に通ってて、廊下で走っててガラスに手をついた瞬間、ガラスが割れて両手首を骨が見えるくらい切った。ものすごい血の量だったが、不思議と全く痛くなくてポカンとしてた。びっくりしたのは先生で、泣きそうな女の先生におんぶされて産婦人科に連れて行かれた。その時に麻酔を何本も打たれて、それがめちゃめちゃ痛かったのを覚えている。
その傷は今でも残ってる。

やがて今市小学校に入学。
掃除の嫌いな子で、掃除の時間は物陰に隠れていた。
一年生の秋に、渡橋(現在の実家)に引っ越す。
一年生の終わりまで、渡橋から今市小まで独りで歩いて通学してた。今思うとすごい。

ある日、ものすごい大雪の日に一人で今市小から帰っていた。
その時に親切な大人の人が見かねたのか、「家まで連れていってあげる」と声を掛けてくれた。しかし幼い私は「知らない人にはついていったらダメって言われてます。」と敬語で断った。そしたらその人が自宅まで行って親に伝えてくれて、親が迎えに来てくれたことがある。

小学校2年生の時に四絡小に転校。とても活発な子で、クラスの発表チャンピオンだった。
6年生の時には議長団(各クラスから男女二人ずつ選ばれる生徒会みたいなもの)に入っていた。あと、体操部のキャプテンをしていた。当時からバク転とかバック中とかやっていたので。その頃は田んぼの稲刈りした後のワラの上で練習してた。

乗り物も好きだったなぁ。
小学校4年生の時に、乗り物教室というイベントに参加して、初めてSLや新幹線に乗ってすごく嬉しかったことを今でも覚えてる。

それとパソコンも好きで、近所のパソコン教室に通っていた。生徒は私以外は全て大人。当時のパソコンは確かNECのPC8001だったような。それが新聞に取り上げられ、「パソコン少年現る!」と写真入りで紹介されたこともあった。

両親は、私にほとんど何も言わず、好きなことを自由にさせてくれた。
宿題もやったことがないけど怒られなかった。
この頃が人生のピークだったかも知れない。

テレワークと危機感

先週の水曜日から大阪に出張して、3日後の土曜日に帰ってきました。商談の機会が多くあり、人もいっぱいだったので今週は大事をとって自己隔離してます。明日で帰ってから5日経つけど体調は良好。コロ助の潜伏期間の平均が5日らしいので、明日抗原検査を受けてから出社しようと思います。

仕事はテレワークでやってます。スマホでもある程度はできるので、出張中は電車移動の時とか隙間時間でやってました。それができるのも出社してる社員の協力があってこそ。テレワーク初めてからかれこれ1週間経ちますが、そんなに不自由は感じていないどころか、楽チンで快適なのでしばらくこのままでいたい。

東京や大阪の人の話では、新卒社員が入社してからまだ一度も出社したことがないとかよく聞きます。全く仕事を知らない人でもできるんだからうちでもできないはずがない。

いつだったか忘れたか、社長がいつまでテレワークを続けられるかチャレンジをしたことがある。確か1ヶ月くらい続いたはず。もちろん仕事はしてた。自分の仕事が半分と、部下の図面とか見積とか書類をチェックするのが半分。以前は隅々までしっかり目を通してたけど、最近はサラッと目を通してオッケーだしてる。そこそこできてるし、時間もかからないし。

しかしやはりリアルはいいものである。今回の出張では講演もあったが、ウェビナーやYouTubeよりもやはり価値があるように思う。展示会だつて、バーチャル展示会とか本当にしょうもないと思うが、やはりリアルはいい。

プロスポーツでも、旅行でも、ライブでも、ウェブで映像や音声などの情報を得ることはできる。しかし実際に行ってみると全く違う感動を覚える。やはりリアルはいいよねとなる。

果たしてそれが本当にいいのかと思うこともある。仕事でもやはりフェイスtoフェイスじゃないとね、とか、基本は電話で伝えないと、など私はそれらは(一部は)古い考えだと思っているしあまり好きではない。

何が言いたいかというと、今は当たり前になりつつあるテレワークやWEB会議が、リアルじゃないから伝わらないよねと言ってみても時代に取り残されていくだけで、その良さ(どこにいてもつながるとか、感染リスクが減るとか)を認めて積極的に取り入れていくことが重要であること。

時代はものすごいスピードで変わっているのに、振り返ると10年前とやってることが何も変わってない。価値観もあまり変わらず、新しいものを受け入れずにいては、これからどんどん差が付いてくると思う。

それが今の自分の一番の危機感。

なんか知らんけど

県の広報誌に掲載されてます。しかも見開き2ページで。

島根県内全ての世帯に25万部配布されるとか。

うちより立派でいい会社は山ほどあるのに、なんでうち?って感じです。