燃える集団づくりをめざす/機関誌6号

いつもは塾長講話について書くのだが、今回はその前に掲載されている、塾生と塾長の経営問答について書きます。

今回のテーマは「燃える集団づくり」

『集団が燃える集団になるかどうかは、事業がうまくいくかどうかと同義語だと思います。』

との塾長の言葉どおり、事業の成功には組織が「燃える集団になる」必要があるということ。

『その前提として、社長に対して部下が聞く耳を持っていなくてはいけない。それは尊敬、畏敬、さらには畏怖の念を社長に抱くということ』

そのためには人一倍働いて結果を出す。ただしそれだけでは聞く耳を持たす、というところまでいかない。

私の知人も、昔のカリスマ美容師みたいな人なのだが、操業してすぐにスタッフが一気にやめてしまったという経験を持つ。技術や勲章だけでは人は動かない。

それでどうするかというと、若い頃の塾長はコンパのようなものを開いて直接部下に訴えた。

『一回しかない人生はやり直しがきかない。なんの縁か知らないが、このボロ会社で一緒に仕事をしている。ぶつぶつ言いながら実りのない人生を送るよりは、たった1回しかない人生、燃えて、悔いのない生き方をしようじゃないか、と。』

『会社が暗くても夢を語る。罪のないホラは面白いし、みんなの乗ってくる。前向きに現実から逃避するのが夢です。そんな夢の中に誘い込む。夢か現実か、境目をなくして夢の中を一緒に歩く。』

「前向きな現実逃避が夢」とは、ものはいいようだと感心!

そして社内でのリーダーシップについてはこう語られていた。

『目的は従業員の物心両面の幸せを勝ち得ることであって、そのための方向は一つしかない。そういう意味では民主主義ではありません。一市民としては買ってバラバラでもいいが、われわれは一定の目的を持った集団で、その目的に向かってベクトルをそろえる必要がある。それを「独裁」と非難されても困ります。(中略)いろんな人間がおってもそれは自由やないかというのは困ります。そういう意味では自由ではありません。

フィロソフィの勉強会を始めると、やれ「思想教育だ」とか「宗教だ」「洗脳だ」という人がいるが、会社とは共通の目的を持って皆のベクトルを合わせて進んでいかなければならないから、考え方を統一させるのは必要不可欠だと思う。

確かにその気持ちも分からなくはない。日本人ならそのような思想教育に反発心を感じる人が多いだろう。(実際には我々が気づかないうちに思想をコントロールされているのだろうが。。。)

ただやみくもにフィロソフィを強制するのではなく、まずはトップが理念を確固たるものにし、その理念を実現するためには皆の考えがバラバラではだめで、考え方を統一していくことは必要だと夢とともに語り、理解してもらわなければならないだろう。

京セラやJALの役員さんとお話させていただく機会が何度かあったが、それは見事に稲盛さんのフィロソフィを受け継いでおられた。

そんな組織は間違いなく強いと思う。
うちで働くスタッフ全員が会社の理念、フィロソフィや会社の考え方を胸を張って語れるようになる日を夢見て。