ビジョン経営

経営者の勉強会で何度も問われる「ビジョンを持ちなさい。」

そうなのかとこれまで何度も将来のビジョンを思い浮かべたり考えたりしたけれども、すぐにどこか記憶の彼方に飛んで行ってしまった。

そして前回弊社で社員に向けて開催されたストレスに関する勉強会で、社内の会社のビジョンが浸透していないことが、社内に不安がある原因だみたいなことを先生に言われた(らしい)。

それを聞いた時は、自分がビジョンを描いていない姿勢を恥ずかしく思った。

そしてそれからビジョンについてよく考えてみた。
自分のビジョンとは一体何なのか? なぜ明確なビジョンがないのか?
ビジョンがない経営者はダメなのか?

それに対する今の考えがこうだ。

自分には5年、10年先のビジョンはない。
でも今確かに言えることは、我が社はこれからも毎年従業員の給与を増やしていく。それはなぜか。従業員の物心両面の幸福のため。

そのために会社を成長させる。
だから人も採用するだろうし、売上目標をしっかり管理しなければならないし、全員が頑張ろうと思える職場環境づくりをしていく。

人が頑張るために明確なビジョンが必要。
そんな感じで考えてた。順番が逆だな。

それは経営者としてダメなのか?
ある経営者へのアンケートでも、自らの課題に「ビジョンがないこと」と書いた。
それで色々とネットでも調べてみたが、今の段階ではビジョンが描けないなら仕方ないって思ってる。

私は経営者向けのいくつかの組織に入ってくれとこれまで何度か頼まれてきたが、その組織のビジョンに共感して入会したことは一度もない。
自分にとってその組織がいいか悪いか、ただそれだけだ。
組織にビジョンがなければ、良くなるためのビジョンを自らが描けばいい。
それが描けないなら組織に入会することはない。

入会するだけで良くなりますよとかこんなリターンが得られますよと、それこそビジョンを掲げて安心させて勧誘する人がいるが、詐欺がよく使う手段でもある。

ビジョンとか小難しいことを考えるのではなく、今の自分の中にあるイメージや考えを伝えることは大事だと思う。こちらは社内で理解し共感してもらえるようにしていこうと思う。

1.幼少時代

自分の生い立ちを書こうと思い立ってから早一ヶ月、久々に書きます。
最近色々と思い悩むことが多いので、こんな時こそ原点回帰、初心に帰るべし。

1971年12月、島根県出雲市で西森家の長男として生まれる。
普段はむちゃくちゃ怖い父が、私の誕生を涙を流して喜んだ。
分かるなぁ、私も自分の長男が生まれた時は嬉しかった。
医大で生まれたけど、毎日ガラスを覗き込みに行って何十分も眺めていたもんだ。

赤ん坊の頃は、それはそれは大きな声で泣いていたらしい。
その頃、両親は雇用促進住宅に住んでいたらしいが、あまりの騒音(私の)で山奥に引っ越した。深夜、山にこだまするくらいの大声で泣いていたとか。
あまりのうるささに、父がパコッと私の頭を叩いたそうだ。(父はものすごい短気だった。)すると、更にボリュームを上げて泣き出して手がつけられなくなったとか。

やがて父の仕事の関係で、米子に引っ越す。
そこで弟(次男)が生まれる。
当時の私(3〜4歳)は歯が丈夫で、喧嘩になるといつも噛みついていたそうだ。
とてもかわいかったらしく、よく知らんおばさんに可愛がられており、何度か勝手に連れ去られた思い出がある。

幼少期は生き物が大好きで、虫とか魚とかたくさん捕まえていた。
産卵間際のカマキリを何匹も捕まえてきて部屋で産卵させ、春に何百匹もの小さなカマキリが産まれてくるのを見るのが楽しかった。
ヤゴもよく捕まえてた。壁に捕まらせて、脱皮するのをずっと見てた。
川で大きなコイを捕まえて、風呂場に水を溜めて飼っていたら、翌日死んでいたこともあった。

その後出雲に戻り、三番目の弟が生まれる。
この頃の記憶は不明瞭だが、今市のボロな一軒家(連紹寺の近く)に暮らしていた。
唯一覚えているのは、夜中にネズミが次男の耳をかじり、父がネズミを退治して高瀬川に捨てに行ったなあ。

そういえば今市幼稚園に通ってて、廊下で走っててガラスに手をついた瞬間、ガラスが割れて両手首を骨が見えるくらい切った。ものすごい血の量だったが、不思議と全く痛くなくてポカンとしてた。びっくりしたのは先生で、泣きそうな女の先生におんぶされて産婦人科に連れて行かれた。その時に麻酔を何本も打たれて、それがめちゃめちゃ痛かったのを覚えている。
その傷は今でも残ってる。

やがて今市小学校に入学。
掃除の嫌いな子で、掃除の時間は物陰に隠れていた。
一年生の秋に、渡橋(現在の実家)に引っ越す。
一年生の終わりまで、渡橋から今市小まで独りで歩いて通学してた。今思うとすごい。

ある日、ものすごい大雪の日に一人で今市小から帰っていた。
その時に親切な大人の人が見かねたのか、「家まで連れていってあげる」と声を掛けてくれた。しかし幼い私は「知らない人にはついていったらダメって言われてます。」と敬語で断った。そしたらその人が自宅まで行って親に伝えてくれて、親が迎えに来てくれたことがある。

小学校2年生の時に四絡小に転校。とても活発な子で、クラスの発表チャンピオンだった。
6年生の時には議長団(各クラスから男女二人ずつ選ばれる生徒会みたいなもの)に入っていた。あと、体操部のキャプテンをしていた。当時からバク転とかバック中とかやっていたので。その頃は田んぼの稲刈りした後のワラの上で練習してた。

乗り物も好きだったなぁ。
小学校4年生の時に、乗り物教室というイベントに参加して、初めてSLや新幹線に乗ってすごく嬉しかったことを今でも覚えてる。

それとパソコンも好きで、近所のパソコン教室に通っていた。生徒は私以外は全て大人。当時のパソコンは確かNECのPC8001だったような。それが新聞に取り上げられ、「パソコン少年現る!」と写真入りで紹介されたこともあった。

両親は、私にほとんど何も言わず、好きなことを自由にさせてくれた。
宿題もやったことがないけど怒られなかった。
この頃が人生のピークだったかも知れない。

テレワークと危機感

先週の水曜日から大阪に出張して、3日後の土曜日に帰ってきました。商談の機会が多くあり、人もいっぱいだったので今週は大事をとって自己隔離してます。明日で帰ってから5日経つけど体調は良好。コロ助の潜伏期間の平均が5日らしいので、明日抗原検査を受けてから出社しようと思います。

仕事はテレワークでやってます。スマホでもある程度はできるので、出張中は電車移動の時とか隙間時間でやってました。それができるのも出社してる社員の協力があってこそ。テレワーク初めてからかれこれ1週間経ちますが、そんなに不自由は感じていないどころか、楽チンで快適なのでしばらくこのままでいたい。

東京や大阪の人の話では、新卒社員が入社してからまだ一度も出社したことがないとかよく聞きます。全く仕事を知らない人でもできるんだからうちでもできないはずがない。

いつだったか忘れたか、社長がいつまでテレワークを続けられるかチャレンジをしたことがある。確か1ヶ月くらい続いたはず。もちろん仕事はしてた。自分の仕事が半分と、部下の図面とか見積とか書類をチェックするのが半分。以前は隅々までしっかり目を通してたけど、最近はサラッと目を通してオッケーだしてる。そこそこできてるし、時間もかからないし。

しかしやはりリアルはいいものである。今回の出張では講演もあったが、ウェビナーやYouTubeよりもやはり価値があるように思う。展示会だつて、バーチャル展示会とか本当にしょうもないと思うが、やはりリアルはいい。

プロスポーツでも、旅行でも、ライブでも、ウェブで映像や音声などの情報を得ることはできる。しかし実際に行ってみると全く違う感動を覚える。やはりリアルはいいよねとなる。

果たしてそれが本当にいいのかと思うこともある。仕事でもやはりフェイスtoフェイスじゃないとね、とか、基本は電話で伝えないと、など私はそれらは(一部は)古い考えだと思っているしあまり好きではない。

何が言いたいかというと、今は当たり前になりつつあるテレワークやWEB会議が、リアルじゃないから伝わらないよねと言ってみても時代に取り残されていくだけで、その良さ(どこにいてもつながるとか、感染リスクが減るとか)を認めて積極的に取り入れていくことが重要であること。

時代はものすごいスピードで変わっているのに、振り返ると10年前とやってることが何も変わってない。価値観もあまり変わらず、新しいものを受け入れずにいては、これからどんどん差が付いてくると思う。

それが今の自分の一番の危機感。

なんか知らんけど

県の広報誌に掲載されてます。しかも見開き2ページで。

島根県内全ての世帯に25万部配布されるとか。

うちより立派でいい会社は山ほどあるのに、なんでうち?って感じです。

プロ意識

以前、徳島で知り合った仙台在住の同業女性(当時支店長)が独立されたと業界誌で知った。

その記事の中で目に止まったのが「ファブレス経営」。つまり、工場を持たず外部に生産を委託している製造会社のこと。その分、企画開発に注力でき、環境の変化にも対応しやすい。この手法を取り入れてる有名な企業にはアップルや任天堂がある。

ファブレス経営とは?有名企業が取り入れているビジネスモデルについて紹介

ファブレス経営こそ自社がやってきたことである。開業資金が少なかったというのも工場を持っていない大きな理由だが、工場を持つことの様々なリスクを排除したかったというのが大きい。

工場を持つということは、土地や設備が必要となる。特に設備は持っているだけでお金がかかる。同業者なら必ず持っているインクジェットプリンターも、インク代、メディア代、保守料など結構お金がかかる。おまけにそれを動かす人間も必要。それなら外部に委託する方が安くて早くて管理も楽。

それと一番は人の問題。工場を作るには職人を育てなければならない。それには何年もかかるし、自分は職人ではないので教える自信もない。また、暇な時に職人さんを遊ばせておくわけにもいかない。それなら協力してもらえるプロフェッショナルな会社と仲良くお付き合いして、仕事が発生した時に協力していただいた方が良い。

ただし製造を外部に委託するやり方はそんなに簡単なことではない。他の会社と同じようなことをやっていては、どちらで作っても大差がなければ価格で比較されてしまう。実はうちは価格競争力のノウハウも持っているのだが、それで安売りをするのはあまり好きではない。

お客様に選んでるいただける企業努力も必要だし、お客さまにとっての付加価値を高めていくことを追求していかなければならない。

そのためにも高いレベルの社員教育が必要。人間的にも技術的にも自らを高めて続けていかなければならない。

ただのんびりと与えられた仕事をこなして働いているサラリーマン根性ではダメ。お客様への付加価値を高めるためにもプロの意識を持つこと。

例えばプロスポーツ選手は試合に出ていれば給料がもらえるわけではない。試合に出るための努力を重ねて重ねて、常にレベルアップをしている。そうしない選手は置いていかれる。

会社も一緒。自己成長をしようと努力しない人は置いていかれる。どうしてもできないことは悪くない、物覚えが悪いのも仕方ない。しかしできるように努力していないのは、できない言い訳にしか聞こえないし私は認めない。

どこかの社長が言ってた。「会社で成長したいという人は雇わない。成長したいならお金を払って学校へ行くべき。私はサラリーマン時代、会社で力を発揮するため、夜間の学校に自ら通っていた。」

会社に依存しないプロ意識を持って欲しい。

美術2

前にも書いたかも知らんけど、高校時代の美術の成績は10段階中2だった。(たしか)
今でも美術館とか言っても何がいいやらさっぱり訳が分からない。

しかも美術展とか実は全く興味がないのだが、一応広告美術(看板の別名)の仕事をしてるので覗いてみる程度。
いいものを見て美意識を高めないと!と思って。

そんな私がなぜ広告美術の仕事をしているのかというと、一番の理由は親がやっていたから。父親は文字書き職人。私も小さい頃から習字教室に行っていた。

そんな私でも看板業の経営ができている。もうかれこれ25年くらいこの業界にいる。

ここで伝えたいのは、自分の得意分野じゃなくても誰かのお役に立てるということ。
そして一生の仕事にできること。

20年後の看板屋を考える

来年2022年7月で、私が会社を作ってちょうど10年になる。

この10年は世界がものすごく変化をした年だろう。インターネットやスマホの発達により、あらゆるものが大きく変わった。

それなのに、振り返ってみるとうちの会社は何も変わっていない。こんな激動の世の中だから何か大きく変わったんじゃないかと考えてみたが、人数は少し増えて仕事の進め方は変わったものの、やってることはほとんど変わっていない。

数字もそんなに変わっていないので、つまりほとんど成長してなかったということだ。何ということだ。。

創業1年目のオレがタイムマシーンに乗って10年前からやって来たら、今の状況を見てどう思うだろう?

まず、「10年続いてる!」と喜ぶだろう。企業の創業10年後の生存確率は6%とか言われてるから、100社のうち94社は無くなっているということになる。(周りを見渡すとそんなに低いようには思えないのだが。。)

しかし業績を見てガッカリするだろう。「成長してないやん!」って思う。「お前、10年何しとったの?」と40歳のオレに言われそう。

「オレも色々あって大変だったわな!コロナもあったし!」とか言い訳するだろうな。

そしたら「でも成長してる会社も山ほどあるでしょ?」と言われてグゥの根も出ないのを想像してしまった。。

さて、タイムマシーンでこれから10年後に行ったらどうなってるかな?

相変わらず現在と変わり映えなくやってるのかな、、

ちゅーか、10年前のブログを見返してみても今と同じようなことばっか書いてるし。

いやいや、そんな姿は見たくない!!

それが嫌だったら、10年後のビジョンを明確に描き、それに向かって行動していかないと!

前置きが長くなったけど、まずは20年後の看板業界がどうなっているかを考えていきます。(多分10年後もあまり変わっていない業界だと思うので。)

To be continued👉

MNPで格安SIMを乗り換えまくった結果

菅総理のおかげでモバイル通信が安くなりましたね。私は1年くらい前までドコモのギガホという料金planを使っていました。毎月30ギガ使えて、通話し放題で8000円くらい払っていた記憶があります。それをもっと安くできないかなと思い、それから色々なキャリアを乗り継いできました。その軌跡をご紹介したいと思います。

・楽天unlimit

1年間無料に引かれて契約しました。またMNPで楽天ポイントを9500ポイントゲット&oppoのスマホをタダ同然でゲットしました。通話料はアプリを使えば無料。通信は楽天エリアなら使い放題ですが、島根はそんなエリアがなく、パートナー回線エリア(au)の毎月5ギガまで使えます。

しかし当時の楽天unlimitはiPhoneは動作対象外。ネットで調べて、iPhoneの設定をいじって無理矢理使ってました。ところが電波の良い会社にいるのにも関わらず、相手がこちらにかけた時に繋がらず、着信履歴通知がメッセージで送られてくることが多発。あと通話はアプリを使わなければならず非常に面倒くさい。これは使えんということですぐにMNPしました。(※今はiPhoneに正式に対応となっています。)

・UQモバイル

アプリを使って通話するのではなく、iPhoneから直接通話ができるシムを探し、ワイモバイルより安かったUQにしました。同時にGalaxyA20をキャンペーンで550円でゲット。10000円のキャッシュバックもありましたが、手続きに不備がありゲットできず頭にきてMNPしました。通信量15ギガのプランに10分話し放題の通話オプションをつけて毎月4000円ちょっとで使ってました。通話品質も通信も悪くなかったのですが、長電話すると通話料が高くなることがありました。

・ahamo

20ギガの通信がついて、話し放題をつけて4100円。先行予約のキャンペーンで6000dポイントをゲットしました。ドコモ回線の5G対応なので、街中の広い範囲で5Gに繋がってました。(スピードは4Gとさほど変わらず)。通話も通信も安定感があり、さすがはドコモ回線といったところです。強いて言えば、通信の下りはかなりスピードが出るのですが、上りは制限がかかっているのか1M以上出なかったです。

・LINEMO

今日、ahamoからソフトバンクのLINEMOにMNPしました。ahamoもLINEMOも契約事務手数料や解約金がかからないので、気軽にMNPができます。それにLINEMOにMNPするとキャンペーンで10000paypayポイントがついてきます!(それが変えた理由)

通信は20ギガついて話し放題のオプションをつけて月々3800円です。ahamoより300円安いです。(多分)

早速自宅で回線切り替えをして使ってみましたが、あれ?出雲の人口密集エリアに住んでいるのにアンテナが2〜3本しか立たない。。。スピードテストをしてみると、下りは3M、上り1M弱といったところ。しかも安定しておらず、YouTubeを見ようとするとカーソルがぐるぐる回って待たされる。若干ストレス。

まだ自宅から出てないので断言できませんが、ソフトバンク回線ダメじゃん!(我が家では)10000paypayポイントをゲットしたらとっととahamoに切り変えようと思います。

auの格安プランのPovoは大したキャンペーンやってないし、料金も魅力的ではないので今回はスルーです。

満足度は今のところahamoが一番です。やはり回線の品質がいい。上りはスピードがあまり出ませんが、困ることはほぼないです。しかもドコモのWi-Fiが無料で使えます。ほとんどのコンビニでドコモWi-Fiが使えるので、コンビニの駐車場に車を止めてノートパソコンをWi-Fiに繋げれば不自由なくモバイルワークができます。

現在のおすすめコースは、楽天unlimit でMNPして20000ポイントをゲットして(しかも3ヶ月無料)、LINEMOで10000paypayポイントをゲットしてからのahamoです。キャンペーンはコロコロ変わるので都度確認してみてください。

0.まえがき

以前から自分の生い立ちを書きたいと思ってた。

理由は、他の人の生い立ちを読むのが面白かったから。子供の頃はどんな感じで、どんな青春時代を過ごして、どんな仕事をやってきたか。

自分では山あり谷ありだけど楽しく充実した人生を送ってきたと思ってるが、周りに聞かせると苦労してきたんだねぇと言われる。確かに色々あったけど、今はそれらは本当に良い思い出になっている。

やっぱ苦労や大変な思いはその時はしんどくても、後になったらいい思い出になるからいいね。今はコロナで大変だけど、きっと将来「あんなこともあったよなぁ」といい思い出に変わっているはず。

昔のことを思い出しながら、これからのんびりと書いていこうと思う。

退職の挨拶

お取引先の役員さんから退職の挨拶をいただいた。

体調を崩しておられ、会社から退職勧告を受けたそうだ。競争の厳しい業種なのでドライだなと思いつつ、仕方ないよなとも思った。

経営者として、社員が体調不良で休むのは頭では仕方ないと理解しつつも、実際は意外と精神的にも肉体的にも負担が大きい。他の者にも当然負担がかかってくる。

いてくれてるのが当たり前だと思っているからなのかな。

そう言う時はとにかく我慢して耐えるしかない。

元々1人で始めた会社。1人でなんでもやってた。その気になればなんでもできる。