業界を地域を引っ張る会社

先日、業界で注目されている社長と少しだけメッセージでやり取りをさせていただいた。

そこに書かれていた言葉が「業界や地域を牽引していきましょう!」だった。

それを見て、ハッとさせられた。

創業して7年、会社を設立して5年、もうすぐ50才のおっさんになって、気持ちが守りに入ってなかったか?

もっと大きな志を抱き、視野を広く持たなきゃと思った。

今、周りには若くて勢いのある人がたくさんおられる。

気持ちだけはずっと若手だったのだが、いつの間にか若手の年齢は通り越していたようだ。

守りに入って小さく縮こまってないで、「業界や地域を引っ張る」突き抜けた会社を目指してこれからも頑張ります!!!

ラグビーワールドカップ

ラグビー日本代表の活躍に、ラグビーワールドカップに夢中になってる。こんなにラグビーが面白かったとは!

YouTubeも何度も見て余韻に浸ってる。最初に見たときは「なんで日本代表に外人が大勢いるんだ?」と思ってたが、皆さん日本人以上に日本人の心を持ってるように感じるし、今では日本代表の皆さんを心から誇りに思う。

そんな日本代表の勝利のインタビューを聞いてて、明らかにうちと違うと思ったことが2つある。

1つは、「自分を信じる」

明らかに格上で強い相手に対しても、チームの全員が勝つことを信じて戦っている。

その信じ込む力がすごいと思った。

我々の会社では、目標に対して本気で達成できると信じている人がいないように感じる。

会社の目標が達成できてもできなくても、自分には関係ない、目の前のことだけしっかりやればいいという考え方。

果たしてラグビーで、そんな考えの人が1人でもいたらどうなるか?

絶対に今の結果は残せてないと思う。

スクールウォーズでもやってた「one for all , all for one 」(1人はみんなのために、みんなは1人のために)

このような組織になるかどうかは、すべてリーダーで決まる。

つまり、自分を信じて全員の力をまとめ切れていないのは、リーダーである自分がまだまだだということなのだ。

2つ目は、先ほどとかぶるのだが「共通の目標。」

ベスト8という共通の目標を達成するために、過酷な練習に耐えてきたとインタビューに答えていた。

何をすれば目標を達成できるのか。。。?

監督やコーチの指導の元、チームが強くなるためにトレーニングを重ねてレベアップしてきた。

そこで自社と置き比べた時、自社の目標の達成のために自らをトレーニングしてきたか?という疑問にぶつかった。

正直、様々な施策は行なっているものの、自らのスキルアップはほとんど行なわれていないということに気づいた。

これでは、自らのトレーニングをせずに力をつけないまま、小手先のテクニックに走ってるだけでほないか?

大した練習もしないで、そんなんで勝てる???

人間的な部分を成長させるのが最も大事だと思う気持ちは変わらないが、それと同時に仕事のやりかたや技術もトレーニングして鍛えていかなければならない。

自分を信じる「気持ち」と、目標を達成するための「教育」。その2点がうちには明らかに足りなかったことを学ばせていただきました!

これをどう実践させるか、更に自分も勉強して社内に落とし込んでいきます!

新入社員

10月から新しいスタッフが入社してきた。

会社を設立して6年目。
目標は「毎年一人ずつ社員を増やす」だったのだが、昨年度は増やすことができなかった。

それで今期こそはと一番の目標を「新しいスタッフを入れる」とし、これまでそのための準備を進めてきた。これで社長をはじめ、営業、デザイン、施工、事務の担当者が揃った。

人を1人増やすには年間300万円近くかかる。
つまり、会社がそれ以上を稼げるようにしておかなければならない。

そのためには、今までと同じように仕事をしていては絶対に無理。
自分たちの意識と行動を変えていかなければならない。

話が変わるが、私が前の会社をやめたのは7年前。
やめた理由について、周りでは誤解している人もいるようなので説明しておくと、一番の理由は前の会社を守りたかったから。

自分は前の会社では代表権なしの社長だったので、実権は両親が握っており、やりたいことをやらせてもらえなかった。
特に両親の社員への対応が私には我慢できず、いつもケンカをしていた。
私は社員を大切にしたいと考えていたが、両親は社員を道具のように扱っているようにしか思えなかった。

最初の頃は両親と戦っていたが、しばらくすると経営幹部(家族)4人のうち、3人が社員のことを悪く言うようになり、太刀打ちできなくなってきた。
私が「俺の右腕となってくれ」と言ってた社員も両親によってやめさせられた。

社長の言ってることと会長の言っていることが違う。
こんなことで会社がまとまるはずがない。
当然社員は定着せず、業績も下がっていた。
それで当時寝たきりだった会長であり代表の父に直談判した。「もう引退して、自分を代表にしてくれ。」

しかし父の答えは「NO」だった。
それどころか、お前に継がせるくらいなら母に経営権を渡すと言ってきた。
そんなにも信頼されていなかったのかと悲しかったが、それでも母が代表権を持って仕切ってくれればそれでいいと思っていた。
しかし、その次の父の言葉で心が折れた。

「そんなにやりたいなら、会社を辞めて自分でやれ。」

自分はこの会社で死ぬまで自己を犠牲にしてでも一生懸命やっていくつもりだったが、自分はこの会社に必要とされていなかったのだと感じた。

それでもこの言葉を受け入れてやれるまでやってみようと、半年間全力で働いた。しかし業績はジリジリと下がっていった。

このままではこの会社はいつか必ずダメになる。
自分ももう自分の力に限界を感じていた。

そこでハッと思った。
会社が一丸となるには、私以外の3人は同じ考えなのだから、自分が引けば会社が一つにまとまるのではないか?

自分の理想とする会社は作れなかったが、他の3人の家族が力を合わせれば理想とする会社ができるかも知れない。

そう思ってやめることを決心した。40歳の誕生日の前日だった。

貯金もない、スマホも車もパソコンも返却したので持ってない。
文字通りゼロからのスタートなので不安しかなかったが、自分が犠牲になるしかないと思ってた。

そしてこれからは自分が「人のための会社をつくる」との思いで、自分の家族も、前の会社も背負う覚悟で独立した。

当時決めていた自分のルールがあった。
・前会社のお客様の仕事は受けない。しかし前の会社に断られたなど、どうしてもという場合のみ受ける。
・営業活動や広告宣伝は一切しない。(前の会社とバッティングするから)
・受注したら、前の会社に発注する。

前の会社の社員数名から、もうやめたいと何度か相談がきた。
しかし、あなたがやめると会社がダメになってしまうから、もう少し我慢してくれと何度か説得したこともあった。

そしてある日、ようやくまとまった仕事が受注でき、やったと思いながら前の会社に仕事を発注したら、受けることができないと断られた。
残念な気分だったが、同時にもう前の会社は背負わなくていいのだと少し気が楽になった。

それから1年半後、松江で会社を設立した。
その理由は、出雲で頑張っていてもお互いの首を締めることになるから。
それと、自宅では社員が幸せになれる会社は作れないと思ったからだ。

そして今回、新しく社員が入ってくれた。
その社員は看板業は初めてだが、可能性は無限大。
この社員には家族もいる。この社員と家族を、うちの会社全員の力で、どのようにしたら幸せにできるかなあと考えている。

会社も、そこで働く人も、関わるすべての人が皆幸せになれる会社を目指してこれからも頑張り続ける。