韓国社員旅行

数ヶ月前、あまりに飛行機代が安かったたために急遽決めた会社での韓国旅行。

飛行機代は米子〜ソウル往復で16,000円くらい。ちなみにこれは3人分の料金。大阪に行くより安い。

それに私は数年前に韓国に行った時、日本とは違う韓国のサインにとても影響を受け、そこからLEDサインに注目して多くを取り扱うようになった。

これはみんなにもぜひ見てもらいたい!って思ってたことも理由の1つだ。

しかしその後、日本のホワイト国除外により、両国の仲は最悪に。。。

毎日流れるニュースの影響を受け、さすがに韓国行きに不安を感じる社員もいるだろうなと心配してたが、中止にはならずなんとか行くことができた。

私についてきてくれた社員、送り出してくれた社員の家族、留守中にお世話になった全ての人たちに感謝です!

そしてソウルから今朝帰ってきたわけだが、第1の感想は「みんないい人」

ホテルの人も、タクシーの運転手さんも、ショップの店員さんもみんな親切だった。日本国内を旅行していても、正直、日本人はここまで親切じゃない。

我々は日本語で話しかけてるので、相手は日本人だと分かってたはず。それなのに笑顔で色々教えてくれたり、サービスしてくれた。

変な人とは出会わず、とてもラッキーだった。(中国の方が、よっぽど変な人と出会う確率が高い。)

しかし、向こうのテレビでは反日ニュースがバンバン流れていたのは事実。

そして、日本名の店に「ボイコットジャパン」のシールが貼られていた時は少し残念な気分になった。

政府やマスコミの情報もある意味事実だけど、それに影響されて全ての韓国人が悪いと思い込んでしまわない方がいい。

やはり自分の目で実際に見て経験しないと分からないことがある。

それが他の社員にも伝わってたら、それが一番の収穫。

反省

自分では気づかないうちに、相手に不快感を与えていることがある。

先日、弊社の対応に至らぬ部分があり、大事なお取引先様を怒らせてしまった。

過程はどうあれ、多くの時間があったのにも関わらず、対応が雑になってしまったためにこのような事態を招いてしまった。本当に申し訳なく思っており、心よりお詫びを申し上げます。

今回、契約に関する弊社の認識が甘かったというのが理由の1つだ。

会社により、色々な考え方がある。

弊社の場合は、これまで契約というものをあまり重視してこなかった。数百万の仕事でも契約書を交わさず、簡単な確認書を作るだけだ。

また、契約書を交わす日に関しても、仕事に着手してから後で交わすことも珍しくない。これは公共工事でも今までよくあったことだ。

しかし、だからといって他社もそうであるとは限らないのだ。一緒に仕事をするのであれば、他社の考えを尊重していく必要がある。

人間同士でもそのような価値観の違いで、相手を怒らせてしまうことがある。

私は、時間に対してシビアだ。

少しでも時間に遅れると怒る。

特に現場のスタート時間に協力業者が遅れてくると、やる気があるのかと頭にくる。お客様にもいい加減なイメージを与えてしまうし。

今回のトラブルの理由の1つに、弊社スタッフが約束の時間に連絡もせずに遅れたというのもどうやらあるようだ。

社員に対しては、会社にギリギリに出社されると嫌な気分になる。

会社の始業時間までに間に合えばいいという考えもあるだろうが、私はそれはテストで言えば100点満点中、35点の赤点ギリギリだと思っている。

社会人として人間として、それではだらしがないんじゃないの?と思っている。まず行動が美しくない。

何より、それで嫌な思いをする人間が社内にいるのならやるべきではない。それでも相手のことを考えず、自分の主張を通して和を乱すのであれば、私は会社にいてもらわなくてもいいとさえ思っている。

このように、お互いの価値観の違いで気づかないうちに相手を不快にしてしまうことがある。しかし、これが相手に言われないとなかなか気づかないのだ。

そして一度抱いた不信感は心の中にくすぶり続け、普段では気にしないようなことも気になるようになる。それが積み重なった先に待っているものは破局。

話を元に戻すが、今回お取引先様から苦言をいただいたことは、自らの気づかなかった甘い部分を認識することができ、本当に有り難いことだと思っている。

しっかりと反省し、今後このようなことが起こらないように私自身の意識を改め、社内でも話し合っていく。

最後に、これらの原因の根底にあるものは「緊張感の緩み」であり「甘え」だと思っている。

後でもいいや、何も言われないからいいや、今までと同じでいいや。

そんなぬるい意識の会社は、世の中からいらんと言われるよ。

常に周囲に緊張感を張り巡らせ、全力で仕事に取り組んでいこう。

無茶振り

先日、久しぶりに同友会の例会にゲスト参加。
テーマは「あなたの考える企業の成長とは?」
その中で印象に残ったのが、「無茶振り」

報告者は、かなり前にある組織でやったことのないとても重要な仕事を任され、見事にそれをやり遂げた。

そしてその報告者の部下が同じテーブルにおられたが、話を聞くと、それまでやったことのない飲食部門を任され、悪戦苦闘しながらも立派な結果を残される。

これを聞いて、人に仕事を任せる際に「あの人はまだ力が足りない」とか、
「まだ経験がない」というのはあまり関係ないんじゃないかと思った。

そしてそれを受ける人が、「私にはまだそんな力がない」、「役不足です」というのも、言い訳にしかならないと思った。

たぶん、そういう人はいつまで経っても自信は生まれないと思う。
私だってそうだ。今でも経営者としてまだまだだと思ってるし、多分一生まだまだだと思っているだろうが、0から始めた会社が7年間も会社を維持できているのは事実。

何事もやってみないと分からないじゃないか。
その時は力がなくても、未来進行形で物事を考える。
部下には、実力の一歩上の役割と権限を与える。
子どもには、1人で行きていけるように思い切って手を離す。(目は離さず)

そうすることで、人は成長していくのだと思う。

討論の発表で、「企業の成長とは「人」の成長であり、「経営者」の成長である。」といった意見が多く出た。

ちなみに私は最初、企業の成長とは「粗利益を増やす」と「従業員数」だと考えていた。確かに外部から見て分かりやすいし、数字なので説得力もある。

ただ、それだけでは企業の成長としてはもの足りないと思ったので、「社風・会社文化の向上」を付け加えた。どれか一つが飛び抜けていてもダメで、これらのバランスが重要であると思ったからである。

話は脱線するが、久々の同友会例会への参加であったが、残念ながら組織が成長しているとは全く思えなかった。グループ討論での自慢話、それを遮らないグループ進行、時間を守らない、そして何より全体が本気で経営を学んでいるという空気感を感じなかった。

果たしてこの組織は数年前と比べて成長してるのか?
人数や財務内容は成長していたとしても、それだけではもの足りないのでは?
「経営の勉強を通じて親睦を行う会です。」と言うのなら、とても素晴らしい会だと思うが。

外部から見たらそう見えました。すみません。

ホスピタリティセミナー

今年度の計画の1つ、ホスピタリティセミナーを本日社内で行いました。

本当は講師を呼んでやりたかったのだが、見積もったら5時間で7万円で、少人数てやるのはもったいない。。。

というわけで、WEBセミナーを行いました。

費用はお試し期間なので無料!

肝心の内容について、基本的な挨拶や立居振舞などが主だったが、少しのホスピタリティを加えることで、相手が受ける印象が随分変わってくる。

私も色々と発見があった。特に社内でのホスピタリティに欠けていた。

それで学んだことを少し取り入れて実践してみたら、おぉ、相手の反応が全然違う!

やらないと忘れて元に戻ってしまいそうなので、これからホスピタリティを意識して実践していこう。特に社内で!

6.7%

どこかのサイトに「会社が10年持つ確率は6.7%」と書いてあった。

100社ができれば、10年後には6〜7社しか残っていないわけだ。

うちが創業したのは平成24年(2012年)の7月なので、現在7年と2ヶ月くらい。

あと3年弱、生き残れれば10年達成か。

もちろん、3年後の2022年(令和4年)は今よりも良くなってる気でいる。

  • スタッフは4名→7名に。今のスタッフはみんな大事なので、みんなで達成したい。No.2がいるかな?
  • 売上は現状→大台に。チマチマやってる場合じゃないな。。。
  • 会社の雰囲気は、社員が主役。イキイキと明るく楽しく仲良く働いている。

これらを達成するには、今のままじゃダメなのです。

人も会社も、一生懸命に努力して、進化し続けていかなくちゃならない。

選択は、やるか、やらないかしかない。

変わる勇気

色んな本を読んだり、勉強したりして、
「刺激を受けた!」とか、「勉強になった!」とか言うけれど、
頭で分かってるだけで、行動が変わらなければ全く意味が無いと思ってる。

「知らないよりは知ってる方がいい」という人もいるが、
知っていても、行動しなければ知らないのと全く同じでしょ。

例えばルールを知っていても、守らなければ意味がない。
まだルールを知らなくて破ってしまう方がマシ。(どちらもダメだけど)
ちなみに、知らなかったでは済まないのが今の世の中。

人間はなかなか変われない。それは認める。
変わるのは勇気がいるし、エネルギーも必要。変わる必要がなければ、自ら変わろうとも思わない。

自分らしさは大事にしていい。
大切な価値観も持ち続けていい。

しかし、今より少しでも自分が組織が周りが良くなるために、自分も進化いくという意識は持っていてほしい。

その意識を持たず、自分の可能性にフタをして「自分は変わらない」と無意識に心に決めている人がいる。そういう人はもったいないなと思う。

素直な心を持ち、何でもまずは受け入れる。
最初から思い込みやそれまでの経験でシャットアウトしていては、人としての成長はそこで止まってしまうから。

英会話プレゼン

私は英会話を習っているのだが、全然進歩しない。
歳をとると、覚えては忘れるの繰り返し。

そんな中、昨日の英会話教室で英語でプレゼンをすることになった。
今までどんな仕事をしてきたか、どうやって今の仕事を始めたのかを発表した。

ちょっと恥ずかしい内容なのだが、英語でよく分からないと思うので、ここに掲載しておきます。

協力:Google翻訳

July 25 presentationTheme: About my work

I will talk about my work today .

I was born as the eldest son of a sign maker’s father.
Since my childhood I have been told by my parents that “You are the second generation of a sign shop.”
I wrote in the elementary school graduation collection that “If I grow up I will become the president of a sign shop”.

Then I became a university student, and I was only part-time job.
I did part-time jobs at pachinko parlors, restaurant bars, game centers, dump drivers and convenience stores.

I had the dream of studying abroad in London when I graduated from college,
However, I had no money at all, and I was wondering what to do, my parents suggested that “you should study in Tokyo for a year.”
So I worked for a year as a trainee at the head office of a company called Shiseido Parlor in Ginza, Tokyo.

The Shiseido Parlor’s main office building is located from the 1st floor to the 5th floor, and contains 4 restaurants run by Shiseido Parlor.
The 5th floor was a high-quality French restaurant, and the pudding has costed 5,000 yen.
Christmas cake was sold for 20,000 yen.
Third floor, two croquettes were selling for 2500 yen.

I worked at a shop on the first floor. So I was selling cakes and food.

Entertainers also came well.
My first customer service was Bunta Sugawara.
Chisato Moritaka, who I liked at the time came, but I was too surprised to see her.

Before I came to Tokyo, I was probably so bad, but I think it was refined little by little.

And one year has passed.
I didn’t want to go back to Shimane because Tokyo life was so enjoyable,
However, I had no money and I could not go there, I returned to Shimane and joined my father’s company Nishimori Kanban.

Since joining my father’s company, I have always skip my job.
I was working in sales, but while I was at work I went to a pachinko, went to a bookstore to read, and was driving without a hit.

I still liked to design using a PC.
The design at that time was either handwritten or black-and-white, but using the just-opened Windows, I printed out the design of the sign in color and made a proposal to the customer.

Over time, I was motivated little by little and I began to think about what “I could do to make more money from the company.”

One day, I went to the lecture of the president of a sign company in Kyushu.
The words I heard there changed my mindset.

The word was “Please take care of employees”.

At that time my father’s company employees were mostly craftsmen, and they were all complaining.
I have never thought of taking care of them.

My parents didn’t really trust their employees too.

Then, by participating in study sessions hosted by the president of Kyushu, and reading a book from the president, my awareness gradually changed to employees.

Then I got into conflict with my parents.
Parents never accepted the idea of ​​taking care of employees.

After a while, I became the president of my father’s company.
However, my parents had control over the company, and I could not decide the salary of the employees.

My parents stopped doing what I was trying to do for employees.

As management’s thinking was not settled, the internal atmosphere got worse and the company’s performance got worse gradually.

I was very troubled.

That day, I told my father that you should retire.
My father was ill at that time and was almost bedridden.
My father said he wanted to retire. But my mother did not allow me to give over management.

I told my father, “Please choose me or my mother”.
Then, surprisingly, he chose my mother as a president.

And he said to me:
“You may leave this company”

I was very shocked.
I thought that I was a necessary person for my father’s company.
And I had a dream to make this company fine.

But my parents denied me and my dream was broken.

I was depressed, but I can not let the employees get lost.
I worked hard to rebuild my company, but the business performance was getting worse.

I thought “Everyone will be unhappy in this situation.”
So, I made up my mind, and told that to my father, the president.
It was the day after my birthday when I was just 40 years old.
This day was the turning point of my life.

Half a year later I resigned as president and I left the company.
All smartphones, cars and PCs were returned to the company.
I also had some shares, but I returned it.

After graduating from university, I worked in Tokyo for a year and then joined my father’s billboard.

After working for 18 years, quit the company and I created a new company in Izumo’s home bedroom in July 2012.

I had almost no savings, so I made four credit cards before leaving the previous company. I thought that I would borrow from there when my money ran out.
And I purchased a 100,000 yen laptop computer with 10 loans.
With a laptop and only one table,

After a while, I bought a used desk and a chair.

GLOBARC is a company that designs and produces signboard.
In particular, we are focusing on signboard that can attract customers.

The signboard has a tremendous power.
Many patients came to come only by renewing the signboard of the dentist who did not come at all.

Location, facilities, people are the same, only the signboard has changed.
In addition, there is a BBQ restaurant whose sales have increased by 20% each year just by changing the signboard.

Here are some of the signs that we made.

Last year, Our company received a bronze award in the Urban Ad section of the Shimane Advertising Award. The signboard of our company which the design company exhibited has won the gold prize.

GLOBARC’s name is made by connecting “global” and “arc”.
The meaning of the name is “The signs connect the shops and people, and the connection is spread around the world.” and “I want to work around the world,”

At that time, I borrowed a battered minicar from my friend’s car shop for free.
The car had a broken horn, and suddenly the horn rang and it didn’t stop.

When I got home at midnight, my car’s horn stopped working, so I used to drive my neighborhood until it stopped.

I became independent to create a company that makes employees happy.
However, it is difficult for employees to work in the bedroom at home.

In addition, if I work hard at Izumo, I will batting with my father’s company and close each other’s neck.

So I moved to Matsue in 2014, one and a half years after I became independent.
That’s Agenogi office right now.

Every year one employee increases and now we work with 4 people.
And we plan to increase one employee this year.
Please introduce if there is someone good.

I am very happy now.
My father died three years ago, but now I am reconciling with my mother and supporting her.

We will develop and grow our company more and create a company that makes our employees happy.

生産性向上

弊社では、「生産性の向上」「効率化」の強化に努めている。

その成果かどうか、まだまだ道半ばではあるが、看板業としては多分珍しい「完全週休二日制」で残業もほとんどない。

それに加えて有給も積極的に取得するよう呼びかけており、昨年度の有給消化率は80.6%であった。

それで高収益だったら言うこと無いのだが、実際はそうでもない。

もっと生産性を高めなければならないと考えている。

私のイメージでは、今より1.5倍は生産性があってもおかしくない。

ではどうやって生産性を高めていくかというと、まずは「IT化」

属人的な作業や手間のかかる作業を、誰でもどこでもスピーディーにできるようにしていく必要がある。

そのためのITツールをずっと探しているのだが、今の所まだ見つかっていない。

次に取り組むのが、「従業員の意識変革」

今の従業員はお世辞抜きに一生懸命頑張っていると思う。しかし頑張るだけでは成果は上がらない。

私は英会話の学習を毎日少しずつやっているが、一向に上達しない。その理由は、頑張り方を間違えているからだと思う。

どのように頑張るかは、経営者が従業員の指導者となって、うまく導いていかなければならないと考えている。つまり自分がもっと頑張らないと!

最後に、「受注量の増加」

今の体制でも、やれば1.5倍の仕事量はこなせるはず。

しかし仕事量には波があるので、暇な時もあれば忙しい時もある。

そんな暇な時はどうしても生産性が低くなってしまう。なんとなく毎日忙しく過ごしているが、最後に結果を見てみると全く成果が上がってない。

逆に繁忙期もそこまで忙しさに差はないのだが、振り返ってみると実績は上がっている。

忙しければ忙しいなりに、暇なら暇なりに無意識に体が対応しているのだろう。

受注量が今より増えれば、一人あたりの生産性は間違いなく上がる。

ある会社は、一つの作業を1人で1時間で行う。
ある会社は、一つの作業を3人で3時間で行う。

でも後者の会社は、自分たちは一生懸命やっていると信じこんでいる。

それで聞く耳を持たなくなっている人たちと同じにならないよう、素直な気持ちで効率化に取り組んでいかなければならない。

リーダーシップと意思決定「利己と利他でどう変わるのか」 〜機関誌3号〜

今回も「稲盛デジタル図書館」より

機関誌を持ち歩かなくてもどこでも読めるから、とても便利!

ただし6ヶ月で9000円(税別)だが。。。

今回も塾長講話は数ページで終わりです。

他のページはというと、他の塾生の経営体験報告に加えて、「子供が生まれました」などという近況報告コーナーまである。

この頃は今と違って内容が簡単で、サクサク進む。

さて、今回のテーマは「利己と利他でどう変わるのか」

稲盛塾長は、年端のいかないころは個人の意思決定を優先していたが、何事もあまり良い結果を得られなかった。

それが、従業員時代に部下を「食わせないといかん」と会社の人全体のためという「利他」が入ってきたそうだ。

そのように「利他」の考えで行動すると良い結果が伴うようになったとのことです。

このように社内の人間全員が「利他」の心で思いやりの心で行動すれば、いい会社になると思う。

うちの会社で言えば、みんな個人よりも周りの人ことを考えて行動する人間が多いように思う。

しかし、自らの行動が先々どのように会社に影響してくるかまで意識している人は少ない。ここは私の指導不足が原因であるのだが。

“「金は天から降ってくるものではない」
われわれ自身が稼いでわれわれ自身が分配しなければ、金はどこからも来ません”

この言葉を塾長は何度も従業員に対して話されたきたそうだ。

うちもその意識を高めて、全員が経営者の意識で仕事に取り組んでいきたい。

盛和塾山陰 9月自主例会

久々にコンパまで参加した今回の自主例会。

感動で涙が3回くらいジワッとした。盛和塾に入ってて本当に良かったと思える例会だった。

日本航空の藤田副社長が、台風の中、出雲の地に来てくださって我々のためにお話をして下さった。
ちょうどこの日は大きな台風が来てたのだが、「どんな手段を使ってでもいきます」と言ってくださってたそうだ。ありがたい。

内容についてはここに書ききれないほど多くの学びがあったのだが、特に印象に残ったことは、

「フィロソフィの大切さ」

うちでも朝礼の時に京セラフィロソフィを輪読してかじった気になってたが、日本航空ではさらに徹底的にフィロソフィを学ぶ機会を作っておられる。

それこそ愚直に。

もっとスマートにやってるイメージがあったのだが、リーダー研修、社員研修、各部門ごとの勉強会などを定期的にやっておられる。
そこまでしてフィロソフィの浸透をはかられている。

そして、東日本大震災や熊本大震災の時、日本航空はこまめな増便を行うなど、現地でのサポートに尽力された。

そういった不測の事態が起こった場合も、従業員が「JALフィロソフィ」を確認し、行動をされているとのことだった。

フィロソフィとは一度学んだだけではダメで、それこそプロ野球選手が何度も素振りをするように、何度も学んでは実践し、反省をして少しずつ自らに浸透させていくのだそうだ。

なんでもそうだが、知っているだけではあまり意味がない。
不正や犯罪など、悪いと知っててやってしまう人間がほとんどだろう。

我々も、フィロソフィを少しかじったくらいで知った気になっていないか?

学んだことは、一つでも行動に移すことが大事!

まずは、京セラフィロソフィを自らに浸透させるべく、社内でフィロソフィに反することがあった時は流さずにきちんと注意することにする。

自社の文化は自社でつくる。