経営の使命と人間の本質 ー機関紙149号ー

今回は、従業員に対して厳しく指導のできない経営者に向けて、経営者とはどのようにあるべきかについての内容であった。

私もそうであるが、従業員や子どもに対して、ハッキリとものが言えないことがある。

「こんなこと言ったら反発するかな。。。?」

「自分はどうだっけ?」

「どのように伝えたら、理解してくれるかな?」

「どういう心理でやったのかな?」

「やめてしまわないかな。。。?」

などとしばらく考えてから伝えている。

すると相手は表面では「分かりました」という対応をするが、同じことを繰り返したりすると「‥本当に聞いてたのか?」とイライラすると同時に、自分の言葉の重みの無さにもガッカリする。

そこで現在弊社でも実践している方法が書かれていた。

「自分が「こうだ」と言っただけでは、部下が信用してくない。そこで、それを私(稲盛塾長)が言ったことにする。そうすれば、一も二もなく聞くようになるでしょう。虎の威を借る狐ではありませんが、そこはうまく利用されたらいいのです。」

弊社では、朝礼時に全員で「京セラフィロソフィ」の輪読を行い、一言ずつ感想を述べあっている。もし朝礼に不在の場合は、後ほど読んでレポートを提出してもらっている。

元はと言えば、私が個人的に京セラフィロソフィを勉強したかったのだが、どうせやるなら全員で内容を勉強して理解すれば、私がフィロソフィと違う行動をした際に「社長は偉そうなことを言ってるが、口だけではないか」と従業員から後ろ指を指されないようにすることで、自らを律することもできると考えて全員でやることに決めたのだ。

しかし全員でフィロソフィを学び、感想を話すことで、まずはみんな心がきれいで真面目な人間だと言うことが分かった。そして、みんなの意識に変化が起きてきているように思う。フィロソフィとは道徳で教わるような「人間として正しいことをする」という内容なのだが、私が言いたいことも時々含まれており、今まで色々社員教育をやった中で、最も効果的じゃないかなと感じている。

これぞまさしく「虎の威を借る狐作戦」。

そして最も響いたのは

会社の社是をしっかりつくって、これで経営しますと決めたら、それからは「私の会社」ではなくります。「みんなの会社」になるのです。

私は頭が切れるわけでも、優れたリーダーでもない。話はヘタクソだし、人間としての器もまだ中途半端。

だからこそ人より一生懸命働いて、みんなが「この会社で働いて良かった」と思える会社にしていきたい。

そしてこの会社を存続させ、皆さんの生活を守っていかなければならない。そのためにも、ぜひ皆さんに協力をお願いしたいのです。

すばらしい協力をして下さる人たちを、私はどんなことがっても大事にし、幸せにします。

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