闘魂 ー機関紙116号ー

今回の機関紙は、「闘魂」について記されていた。
稲盛塾長は、創業当初、どれだけ働けばいいのかよく分からなかったために、毎日夜も寝ないくらいに頑張って仕事をしてこられた。逆に言えば、経営者になったことで恐怖感が強くなり、そこから逃れようとするために必死に仕事を続けて来られた。
私も創業当時は365日24時間体制で働いていたのだが、いつの頃からか自分が全てやっていては会社が成長しない、従業員に任せるべきは任せて自分がいなくても会社が回るようにしたいとやってきた。
そういった考え方も間違っていないと思うが、それによって、自分の仕事が楽になるように向かってしまい、正直自分でも誰にも負けない努力で頑張ってはいないなと感じるようになっている。
そうではなく、空いた時間で自分にしかできない仕事を一生懸命こなし、それこそ営業時間が終わってからも自分に負けずに仕事を頑張って行う努力が必要であると感じた。
創業して間も無く、稲盛塾長は高額な費用を払って本田宗一郎氏の講演会へと参加される。その時の講演での開口一番「こんな温泉なんかに入って話を聞くのは時間の無駄。さっさと帰って仕事した方がいい」という本田宗一郎氏の言葉だった。
しかし稲盛塾長は、ここで格段に自分よりも優れた人物と直に接することの大事さに気づかれる。
優れた人はみんなお互いに自分より上の人と付き合いたいと思っている。それが「学び」であり、「研鑽」だからである。下のものはどんぐりの背比べみたいな連中と付き合うことになる。それでは天狗になるのがオチ。
人生で何か楽しいかというと、生きている間に素晴らしい友達、師弟、そういう出会いができることである。いかに立派な人物と知り合いになれるか、ということが人生で一番楽しいことだろうと思う。人生における出会いの場で、魂と魂が触れ合い、研鑽しあい、磨き合う。そういう場が一番素晴らしい。
そのような機会を授けるために、稲盛塾長は盛和塾に参加しておられる。
私は今まで、目上の人がいてもあまり近づかないようにしてきた。何を話していいのか分からない、自分なんかと一緒にいても、相手は退屈なのではないかと考えて。
しかしそれでは魂の触れ合い、研鑽、磨きあいには繋がらない。
どんぐりの背比べの中で安心しきっていては、成長はない。
今後、こういう場合には一番にご挨拶に伺い、魂と魂の触れ合いを意識していく。そうして自らの魂を磨くことを人生の目標としていく。
最後に、経営とは専門知識だけで成功不成功が決まるのではなく、経営者の心、考え方で決まる。つまり、経営のフィロソフィが立派であれば会社も立派になる。
そして経営者には「根性」と「ガッツ」が大事。
頭がいいだけでも、どんないい戦略を描けても、それだけではダメ。
不可能だと思えるようなことをやらなかったら、物事を成し遂げることはできない。人から「決してできるわけがない、あんなことがやれるわけがない」といういうことを、凄まじい根性と凄まじい闘魂で成し遂げる。経営者にはそいういう闘魂が絶対に必要。稲盛塾長は、創業当時からやってきた。第二電電もそう。
できなかったら言い訳しない。自分が惨めに思えるからときれい事をいうな。
私はどこか逃げ腰で、従業員とも衝突を恐れ、真剣に向き合わないところがある。それはなんとしてでも目標を達成しようという「根性」も「ガッツ」も持ち合わせていないから。周りの環境のせいにして、守りに入って低いところで自分を納得させてしまっている。これではいけない。
「松江で一番の看板業者になる」というのがまず第一歩の目標。
心のどこかで「やれるわけがない」「できるわけがない」と無意識に思い込んでいないか?
目標を会社に落とし込み、それを何としてでも達成するために「燃える闘魂」で仕事を進めていく。

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