敬天愛人を生きる ー機関紙148号ー

今回の内容は京セラの社是でもある「敬天愛人」
「常に公明正大 謙虚な心で仕事にあたり 天を敬い、人を愛し 仕事を愛し 会社を愛し 国を愛する心」という意味で、西郷隆盛(機関紙では西郷南洲と書かれていて、最初誰かと思った)の言葉だということは知ってるが、どのような深い意味が込められているのかということを再確認しながら読んだ。
私なりにまとめると、いつも塾長がおっしゃってる「人間として正しく生き、世のため人のために尽くす」ということであった。
私は現在、経営者という役割をいただいて生きている。
経営者としては、まだ決して良い結果は残してはいないが、前の会社では5年間に渡って社長業(代表権なしの)を務め、起業してからは現在6年目に入っている。
振り返って見ると実は10年以上も経営者をやっているのだが、今自分がしっかりと自覚しておかなければいけないのは、自分だけが儲かるためだけに経営者としての能力を授かったのでも学ばせてもらったのでもなく、「経営者という自らの役割に全力で取り組み、一緒に働く人たちや世の中をよくしていかなければならない」ということ。

「トップに立つものは天道を踏み行うものであって、少しでも私心を挟んではならない。利己または自分を大切にする思いを差し挟んではならない。」

「自分自身のことは犠牲にしてでも会社のことに集中する。それがトップの義務。」

最近、朝礼時に京セラフィロソフィの輪読を行なっているが、読み進めるうちに自分自身ががんじがらめに締め付けられている。
「私心のない判断を行う」
「フェアプレイ精神を貫く」
「公私のけじめを大切にする」
経営者だからこれくらい経費で・・・とか、
儲かるならちょっとぐらいのルール違反なら・・・
というのを、「もう今後はやらない」と、皆の前で宣言してきた。
皆と一緒に学び、皆の前で宣言することで、自らをやらざるをえない状況に追い込むのが目的で、これまで皆でフィロソフィの勉強をやってきたのだ。
そうすると、スタッフからも気を使って私とは言わなかったが、「他の会社で、経費を私的に利用してお土産をもらったけど、あまり嬉しくなかった。」という意見がでた。
やはり従業員はちゃんと見ているのである。
そして、そのように正しい心を持っている従業員を尊敬した。

経営の判断基準を「人間として何が正しいのか」という一点に絞る。物事の根本というものは単純にして明快。

自分ではできていたつもりだったけど、実は全然できていなかった。
頭では分かってたけど、徹底して実行していなかった。
そんなだから、良い結果として現れないのだと今では思っている。
なぜ良い結果を出さないとならないか?
なぜそうしてまで自らを追い込まなければならないのか?
それは、私には全従業員を幸福にするという「使命」があるから。
そして、そう思える従業員をもっと増やしていきたい。
それによって、うちの看板をより多くの会社へと役立てることができる。
それが社会への貢献であり、私の経営者としての役割だと考えている。